胆石の開腹手術について。
検査の結果、僕の胆嚢の形状では腹腔鏡手術が難しいとわかり、開腹手術をすることになった。
いつ頃退院できるのか、どのくらいで日常復帰できるのか不安だったが、google検索して見つけた、ネットに書かれている会ったこともない人たちの入院日記がとても参考になった。僕もいつかどこかの胆石患者(特に開腹手術することになってしまった)の人がこのページを検索して見にきてくれたときのために、入院から退院までの記録を書いておきます。39歳男子、フリーランスイラストレーターの記録です。(退院してから記憶を頼りに書いたところも多いので、1日くらいはズレていることがあるかもしれません。)
2014年10月14日(火)
自宅で昼食後入院。その後点滴や採血などされつつベッドで絶食…の予定だったが、看護師さんに「18日退院って聞いてるんですけど、開腹手術なのに早すぎません?」と聞いた所、「こっちの資料では一週間以上の入院になってる」とのこと。やっぱりおかしいと思ったんだ…。手術してくれる先生に再度確認しするも「いやいや大丈夫。18日で退院できるよ!」とのこと。看護師さんは苦笑い。
終わってない仕事があったので一時帰宅させてもらい18時まで働く。家にいて仕事しつつお腹空いてる状態つらい。
その後病院に戻り点滴と採血。21時までは飲み物を飲んでもよいのでスポーツドリンクをゴクゴク。浣腸される(15日だったかも…記憶定かではない)。夜は耳栓を持っていったせいもあってすんなり眠れた。
15日(水)
手術の日。今日は水も飲めない。看護師さんにへそのゴマを掃除してもらったりお腹の毛を剃ってもらったりした。昼過ぎ妻が来てしばし会話。先生の説明待ちだがなかなか来ない。13時過ぎにようやく先生が来て手術の説明。胆石のことと、僕の胆嚢周りが奇形なので腹腔鏡手術が難しく、開腹手術になったことについて詳しく。
僕への説明の時は「2〜3%こういう人はいます」とのことだったが、妻への説明では「3〜4%こういう人はいます」と言っていた。「安心させようとしてくれたんじゃないの?」と妻。1%増えただけでそんなにかわるかな。
でも前回分かりにくかった僕の胆嚢の説明、今回はよくわかった。
14時過ぎ手術へ。T字帯というふんどしのようなものをつけ、手術着に着替える。腕への痛い注射。シャワーキャップのようなものをつけて寝かされる。僕の姿を見て妻は笑っていた。
手術室に入り、全身麻酔。鼻に管を通される。胃液を外に出すため?だったような。これが喉につっかえてかなり辛い。吐き気がする。口にカップのようなものを貼り付けられる(酸素マスク?)。やがて意識がなくなる。
手術終了。妻によると約1時間半、ほぼ予定通りだったらしい。麻酔が切れて「痛い〜痛い〜」と言っていたらしい。
妻の「今日は帰るね」の言葉に頷いたらしいが記憶に無い。手術してくれた先生がOKマークを出してくれて、それに相槌をうったのは覚えている。
記憶があるのはこの後。
もう外は暗かったので夕方かな?ひどい吐き気。全身麻酔の副作用と+鼻から通された管で、喉の奥にずっと指を突っ込まれている状態。ナースコールを押して吐く。吐くのにジャマなので酸素マスクのようなものはとってもらった。
吐くと手術跡が激しく痛む。動くと鼻から通された管が喉に何度も当たる。
この後「痛み止め」→「吐き気」→「吐く」→「痛み止め」…何度かこれがループしたような気がするが、何回かは夢だったかもしれない。とにかく鼻の管を抜いて欲しかった。吐き気さえ収まれば痛みもなくなりそうなのに…!
目覚めても目覚めてもなかなか夜が明けない。いつまでこの時間が続くのかと、この日が本当に本当に辛かった。
16日(木)
気が付くと朝。当然傷は痛む。点滴、尿の管、ドレーン(お腹に管がさしこまれていて、血液のような体液のようなものがが出ている)、問題の鼻の管。思ったより管だらけだ。午前中に先生が来て鼻の管をとってもいいという話になった。助かった。これでずいぶん楽になった。
体温を測ったり血圧を測ったり注射をしたり、看護師さんが定期的に様子を見に来てくれる。お腹の傷はまだ怖くてみることができない。痛みの範囲からかなり大きい物なんだろうなというのはわかる。
この日は痛みにたえてただただ寝ていたような気がする。
夕方になるとだんだんと痛みにも慣れたのか、なるべく痛くない体の動かし方がわかってきた。飲み物は飲んでもよかったので、介護ベッドを使って体を起こし、家から持ってきてあったDAKARAを飲んだ。美味しかった。
胆石の大きさは2cm。2cmと言われてもピンときてなかったが、だいたいうずらの卵くらいの大きさだった。この後退院まで、看護師さんから掃除の係の人まで、ほぼ全員に「大きいねー!」と驚かれた。なぜか悪い気はしない。(退院後検索したこところによるとアボカドの種ほどの人もいるらしい…すごい)
17日(金)
尿の管抜いてもらう。自由に一歩近づいた。嬉しい。
リハビリ係の人が来てリハビリ。ベッドから体を起こして歩いてみる。体をタテにするだけで傷はかなり痛く、歩くのも小さな歩幅で少ししか歩けない。トイレまで行くのがやっと。18日退院はとてもじゃないが無理だろうと思う。
夕方先生がやってきて、採血検査の結果を見てももう少しかかりそう。退院は20日にしましょうという話になった。まだお腹の管が抜けてないのだから当然だろうと思う。というかなぜ18日で退院できると思っていたのか今となっては疑問だ。僕の回復が特に遅いのだろうか?と心配になる。
18日(土)
ずっと仰向けで寝っぱなしで朝から腰が痛い。多分マットがやわらかすぎるのだと思う。管や傷がなければ横を向いて眠りたいのだが無理な話。
この日の朝食から三分粥が出る。美味しいとかマズイとかじゃなく、食べられるようになってよかった。ホッとしたという感じ。トイレに行くのもずいぶん慣れてきた。本を読んだりする余裕もでてきた。
点滴や注射はずっと続いている。最初のリハビリの時にリハビリ係の人から歩いたほうが治りが早いと聞いたので、洗面所にヒゲをそりに行ったりなるべく我慢せずにトイレにいくことにした。
夜、腰の痛みで寝るのに難儀する。バスタオルを腰の下に敷いてなんとかごまかした。
19日(日)
朝起きると相変わらず腰がいたい。
この日ようやくお腹のドレーンを抜いてもらった。さらにしばらくしてガーゼの上からフィルムを貼ってもらい、風呂に入れることになった。ちょっと嬉しい。このガーゼの張替えの時に初めて自分の傷をまじまじと見た。漫画みたいなおおきな縫い傷で怖かった。ドレーンを抜いた後も、体に穴があいてるなーって感じ。(26日現在、未だかさぶたにもなりきっておらず、体液のようなものがしみでている。怖い。)
風呂ではシャワーだけ浴びて、洗面所でヒゲを剃った。これだけでもかなりさっぱりして気分が変わった。
昼過ぎ、妻と息子が見舞いに来てくれた。看護婦さんとは二言三言だが、妻とは会話になるのでこのとき初めてしゃべるのが辛いことがわかった。傷が痛むのと縫ったところがつっぱるせいで大きく息が吸えず、息が続かないので言葉が切れ切れになる。笑うのはもちろんだが、長くしゃべるだけでもけっこう辛い。友達のお見舞いの申し出を断って良かった。
夜はやはり腰が痛く寝るのがつらい。
この日、退院を前にしてようやく介護ベッドの機能を使わず体を起こせるようになった。
20日(月)
午前中リハビリ。階段の昇り降り。もちろん傷は痛むができないことはない。そもそも我が家はアパートの一階で階段ないのですぐには必要ない動きだ。でも、術後はとてもできなかった動きなので治ってきてることがわかってよかった。
昼前、妻に迎えに来てもらい退院。家までバスでたった一区間の距離なのだが、2度ほど壁にもたれて休んだ。
一週間空けただけだが久しぶりの我が家という感じ。饂飩を茹でてもらい、2時間程仕事。思った以上に疲れてその後また2時間程眠った。起きてまた仕事して、ファイルを提出。締切に間に合ってホッとした。あとはゆっくり体を慣らしていこう。
結果、入院の日から数えて7日間の入院生活となった。ネットで見たり友人の看護師に聞いた情報によると、開腹手術の場合入院は2週間、生活復帰まで1ヶ月くらいが一般的だとも。年齢や性別、僕には解らないが胆嚢の状態によるのかもしれない。みんながみんな1週間で退院できるわけではないだろうし、僕はフリーランスで自宅で仕事しているというのも大きいと思います。
25日土曜日に抜糸が終わり今日は26日でもうすぐ手術から2週間だけど、明日から満員電車に乗って一時間通勤してくださいと言われたらけっこう困る。まだ体力は戻っていないし、縫った傷まわりは硬くなりつっぱるので、背中を丸めて歩くことになる。変な姿勢で歩いているので腰が痛くなります。傷跡周りが硬く凝り固まっているいるのはいずれ体に馴染んで元に戻るらしい。
食事は一昨日あたりから家族と同じものをとっている。(妻が肉や油物を控えてくれている)
検査の結果、僕の胆嚢の形状では腹腔鏡手術が難しいとわかり、開腹手術をすることになった。
いつ頃退院できるのか、どのくらいで日常復帰できるのか不安だったが、google検索して見つけた、ネットに書かれている会ったこともない人たちの入院日記がとても参考になった。僕もいつかどこかの胆石患者(特に開腹手術することになってしまった)の人がこのページを検索して見にきてくれたときのために、入院から退院までの記録を書いておきます。39歳男子、フリーランスイラストレーターの記録です。(退院してから記憶を頼りに書いたところも多いので、1日くらいはズレていることがあるかもしれません。)
2014年10月14日(火)
自宅で昼食後入院。その後点滴や採血などされつつベッドで絶食…の予定だったが、看護師さんに「18日退院って聞いてるんですけど、開腹手術なのに早すぎません?」と聞いた所、「こっちの資料では一週間以上の入院になってる」とのこと。やっぱりおかしいと思ったんだ…。手術してくれる先生に再度確認しするも「いやいや大丈夫。18日で退院できるよ!」とのこと。看護師さんは苦笑い。
終わってない仕事があったので一時帰宅させてもらい18時まで働く。家にいて仕事しつつお腹空いてる状態つらい。
その後病院に戻り点滴と採血。21時までは飲み物を飲んでもよいのでスポーツドリンクをゴクゴク。浣腸される(15日だったかも…記憶定かではない)。夜は耳栓を持っていったせいもあってすんなり眠れた。
15日(水)
手術の日。今日は水も飲めない。看護師さんにへそのゴマを掃除してもらったりお腹の毛を剃ってもらったりした。昼過ぎ妻が来てしばし会話。先生の説明待ちだがなかなか来ない。13時過ぎにようやく先生が来て手術の説明。胆石のことと、僕の胆嚢周りが奇形なので腹腔鏡手術が難しく、開腹手術になったことについて詳しく。
僕への説明の時は「2〜3%こういう人はいます」とのことだったが、妻への説明では「3〜4%こういう人はいます」と言っていた。「安心させようとしてくれたんじゃないの?」と妻。1%増えただけでそんなにかわるかな。
でも前回分かりにくかった僕の胆嚢の説明、今回はよくわかった。
14時過ぎ手術へ。T字帯というふんどしのようなものをつけ、手術着に着替える。腕への痛い注射。シャワーキャップのようなものをつけて寝かされる。僕の姿を見て妻は笑っていた。
手術室に入り、全身麻酔。鼻に管を通される。胃液を外に出すため?だったような。これが喉につっかえてかなり辛い。吐き気がする。口にカップのようなものを貼り付けられる(酸素マスク?)。やがて意識がなくなる。
手術終了。妻によると約1時間半、ほぼ予定通りだったらしい。麻酔が切れて「痛い〜痛い〜」と言っていたらしい。
妻の「今日は帰るね」の言葉に頷いたらしいが記憶に無い。手術してくれた先生がOKマークを出してくれて、それに相槌をうったのは覚えている。
記憶があるのはこの後。
もう外は暗かったので夕方かな?ひどい吐き気。全身麻酔の副作用と+鼻から通された管で、喉の奥にずっと指を突っ込まれている状態。ナースコールを押して吐く。吐くのにジャマなので酸素マスクのようなものはとってもらった。
吐くと手術跡が激しく痛む。動くと鼻から通された管が喉に何度も当たる。
この後「痛み止め」→「吐き気」→「吐く」→「痛み止め」…何度かこれがループしたような気がするが、何回かは夢だったかもしれない。とにかく鼻の管を抜いて欲しかった。吐き気さえ収まれば痛みもなくなりそうなのに…!
目覚めても目覚めてもなかなか夜が明けない。いつまでこの時間が続くのかと、この日が本当に本当に辛かった。
16日(木)
気が付くと朝。当然傷は痛む。点滴、尿の管、ドレーン(お腹に管がさしこまれていて、血液のような体液のようなものがが出ている)、問題の鼻の管。思ったより管だらけだ。午前中に先生が来て鼻の管をとってもいいという話になった。助かった。これでずいぶん楽になった。
体温を測ったり血圧を測ったり注射をしたり、看護師さんが定期的に様子を見に来てくれる。お腹の傷はまだ怖くてみることができない。痛みの範囲からかなり大きい物なんだろうなというのはわかる。
この日は痛みにたえてただただ寝ていたような気がする。
夕方になるとだんだんと痛みにも慣れたのか、なるべく痛くない体の動かし方がわかってきた。飲み物は飲んでもよかったので、介護ベッドを使って体を起こし、家から持ってきてあったDAKARAを飲んだ。美味しかった。
胆石の大きさは2cm。2cmと言われてもピンときてなかったが、だいたいうずらの卵くらいの大きさだった。この後退院まで、看護師さんから掃除の係の人まで、ほぼ全員に「大きいねー!」と驚かれた。なぜか悪い気はしない。(退院後検索したこところによるとアボカドの種ほどの人もいるらしい…すごい)
17日(金)
尿の管抜いてもらう。自由に一歩近づいた。嬉しい。
リハビリ係の人が来てリハビリ。ベッドから体を起こして歩いてみる。体をタテにするだけで傷はかなり痛く、歩くのも小さな歩幅で少ししか歩けない。トイレまで行くのがやっと。18日退院はとてもじゃないが無理だろうと思う。
夕方先生がやってきて、採血検査の結果を見てももう少しかかりそう。退院は20日にしましょうという話になった。まだお腹の管が抜けてないのだから当然だろうと思う。というかなぜ18日で退院できると思っていたのか今となっては疑問だ。僕の回復が特に遅いのだろうか?と心配になる。
18日(土)
ずっと仰向けで寝っぱなしで朝から腰が痛い。多分マットがやわらかすぎるのだと思う。管や傷がなければ横を向いて眠りたいのだが無理な話。
この日の朝食から三分粥が出る。美味しいとかマズイとかじゃなく、食べられるようになってよかった。ホッとしたという感じ。トイレに行くのもずいぶん慣れてきた。本を読んだりする余裕もでてきた。
点滴や注射はずっと続いている。最初のリハビリの時にリハビリ係の人から歩いたほうが治りが早いと聞いたので、洗面所にヒゲをそりに行ったりなるべく我慢せずにトイレにいくことにした。
夜、腰の痛みで寝るのに難儀する。バスタオルを腰の下に敷いてなんとかごまかした。
19日(日)
朝起きると相変わらず腰がいたい。
この日ようやくお腹のドレーンを抜いてもらった。さらにしばらくしてガーゼの上からフィルムを貼ってもらい、風呂に入れることになった。ちょっと嬉しい。このガーゼの張替えの時に初めて自分の傷をまじまじと見た。漫画みたいなおおきな縫い傷で怖かった。ドレーンを抜いた後も、体に穴があいてるなーって感じ。(26日現在、未だかさぶたにもなりきっておらず、体液のようなものがしみでている。怖い。)
風呂ではシャワーだけ浴びて、洗面所でヒゲを剃った。これだけでもかなりさっぱりして気分が変わった。
昼過ぎ、妻と息子が見舞いに来てくれた。看護婦さんとは二言三言だが、妻とは会話になるのでこのとき初めてしゃべるのが辛いことがわかった。傷が痛むのと縫ったところがつっぱるせいで大きく息が吸えず、息が続かないので言葉が切れ切れになる。笑うのはもちろんだが、長くしゃべるだけでもけっこう辛い。友達のお見舞いの申し出を断って良かった。
夜はやはり腰が痛く寝るのがつらい。
この日、退院を前にしてようやく介護ベッドの機能を使わず体を起こせるようになった。
20日(月)
午前中リハビリ。階段の昇り降り。もちろん傷は痛むができないことはない。そもそも我が家はアパートの一階で階段ないのですぐには必要ない動きだ。でも、術後はとてもできなかった動きなので治ってきてることがわかってよかった。
昼前、妻に迎えに来てもらい退院。家までバスでたった一区間の距離なのだが、2度ほど壁にもたれて休んだ。
一週間空けただけだが久しぶりの我が家という感じ。饂飩を茹でてもらい、2時間程仕事。思った以上に疲れてその後また2時間程眠った。起きてまた仕事して、ファイルを提出。締切に間に合ってホッとした。あとはゆっくり体を慣らしていこう。
結果、入院の日から数えて7日間の入院生活となった。ネットで見たり友人の看護師に聞いた情報によると、開腹手術の場合入院は2週間、生活復帰まで1ヶ月くらいが一般的だとも。年齢や性別、僕には解らないが胆嚢の状態によるのかもしれない。みんながみんな1週間で退院できるわけではないだろうし、僕はフリーランスで自宅で仕事しているというのも大きいと思います。
25日土曜日に抜糸が終わり今日は26日でもうすぐ手術から2週間だけど、明日から満員電車に乗って一時間通勤してくださいと言われたらけっこう困る。まだ体力は戻っていないし、縫った傷まわりは硬くなりつっぱるので、背中を丸めて歩くことになる。変な姿勢で歩いているので腰が痛くなります。傷跡周りが硬く凝り固まっているいるのはいずれ体に馴染んで元に戻るらしい。
食事は一昨日あたりから家族と同じものをとっている。(妻が肉や油物を控えてくれている)