子どもが異様な関心をしめしたことをきっかけに「青ひげ」という童話について調べてみたところ、ポール・ギュスターヴ・ドレという挿絵作家を知った。知った、というよりようやく名前をちゃんと認識したというべきかも。おそらくこの人の絵は誰でもどこかで一度目にしている。
ドレについてさらに検索してみると、宝島社などから何冊かまとまったものが出ていることを知ったので、ひとまず図書館で「旧約聖書」と「新約聖書」を借りてきた。聖書に関しては今月(忘れかけてましたがこのブログは6月の読書について書いています)は芸術新潮でも読んだので正直言って文章はぱらぱらと拾い読み。主に画集として見ました。
絵は言うまでもなく素晴らしい。明暗の表現や構図がドラマチックで感激します。そして昔の絵描きの絵をみていつも思うことであり、ドレの絵を見て改めて強く感じたことが「この時代、映像がなかったんだよなあ…」ということ。僕らは生まれた時から映画やテレビがあるので、知らないうちにライティングやカット割りが頭に入っているんです。知らず知らずそういうものを模倣している。だからこそ現在pixvに玄人はだしの絵師さまがあふれるわけですが、そうでなかったこの時代にどうやればこの表現に行き着くのかという不思議。想像もつきません。
そして編者によるあとがきにハッとした。当時は
文化の大衆化が進行して、版画とそれを用いた装画本が熱狂的に受け入れられた時代
だったそうです。それによって
版画はそれまでの油絵のように特定のパトロンに依存するのではなく、不特定多数のプチパトロンを対象に表現することができた。
そしてドレは(油絵・彫刻などにも卓越した表現力を持ちながら)
その中の最大のスターであった
ということでした。
つまり時代の移り変わりを敏感に感じ取り、自覚的に芸術家からイラストレーターに舵を切った極初期の人であったということです。
プチパトロンというのはあとがきでは読者を指していますが、直接ドレに賃金を支払うのは現在で言う出版社・編集者でしょう。
そして今後、かつてのプチパトロンはインターネットによってさらにプチ化、細分化されていく。というのは、音楽や書籍と同じように、イラストレーションも定額制の需要が増え続けているのです。日本ではまだそうでもないけれど、海外のストックフォトサイトなどを見るととてもクオリティの高いイラストが定額で(1点数十円で)購入されていて、小さなクライアントを世界中に持つことによって(極僅かな人数のトップクラスのイラストレーターが)それで大きな収入を得ている。クラウドソーシングもしかりで、二極化っつーんですか、この流れはどうやらしばらく続きそうです。
そんな時代の岐路にあってドレの絵を見てこのあとがきを読み、自分の今後について思わず深く考えこんでしまったことでありました。
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ドレの絵は今後も見ていきたいと思います。